黒澤明のハリウッド進出を支えた

プロデューサー

タック W. 阿部

小説「おーづせんせい」で小津安二郎の知られざる人生に光をあてた

脚本

児島秀樹

二人が組んだ
今、私たちが求める“こころ”を届ける映画。

主人公は奄美大島で40年に渡り、3万人もの若者や子どもたちに手を差し伸べてきたある保護司。誰もがあきらめかけた彼らの人生を再び輝かせてきたその男のことを、皆はこう呼んだ。

“TIDA -ティダ-

プロデューサー:タック W. 阿部 

脚本:児島秀樹

監督:萩原篤 撮影:舘岡悟
照明監督:磯野雅宏 美術:丸尾知行 音楽:丸山和範
WEBディレクター:大野賢三
撮影協力:特定非営利活動法人 奄美青少年支援センター「ゆずり葉の郷」

監督:萩原篤 撮影:舘岡悟 
照明監督:磯野雅宏 美術:丸尾知行 音楽:丸山和範 WEBディレクター:大野賢三
撮影協力:特定非営利活動法人
奄美青少年支援センター「ゆずり葉の郷」
製作協力:制作TAK

昨今、巷に溢れる子どもへの虐待、貧困、犯罪の低年齢化といった悲しいニュース。さらに、こうした報道もされないまま、人知れず不遇な環境に身を置いている子どもや若者たちが大勢います。

こうした状況に40年以上前から目を向け、彼らに支援の手を差し伸べてきた人が鹿児島県、奄美大島にいます。保護司の三浦一広さん。1980年代から両親の経済的な問題などで問題を抱え、非行や誤った道に進みかけた若者たちの更生に尽力。寄付を募り自立援助ホームを設立すると、彼らと共に生活し立ち直りのきっかけを与え、再び社会へと送り出してきました。これまで三浦さんの元を巣立った若者たちは3万人以上。それも、実の親にさえ見捨てられた札付きのワルや、居場所を失い自死する寸前を救われた子など、常識では想像も及ばない若者たちばかり。この成果は“奄美の奇跡”と呼ばれ、今、改めて全国の教育関係者から注目を集めています。三浦一広という人物はなぜここまで若者たちの心をつかむことができるのか?

この映画は三浦さんと若者たちの40年に渡る交流の中から象徴的なエピソードを抽出して再構成した物語です。その中で描かれる三浦さんの献身的な行動を通して見えてくるのは、子どもたちの衝動に込められた切実な思い、そして、大人たちはどうしたら彼らの思いに気づき、受け止めてやることができるのかという示唆。

三浦さんはいいます。
「大切なのは、子どもたちを許し、認め、褒め、励まし、感謝すること。」

生き方に迷う子どもたち、また、そうした子どもたちと向き合う大人たち、そして、今まさに全国で奮闘している保護司や教育者たちに是非届けたい作品です。

伝説の保護司・三浦一広とは

1955年、奄美大島の名瀬という町に生まれた三浦さん。父は生まれつき不自由な体で理髪店を営み、母は島の特産物だった大島紬を織る内職で家計を支えたが、暮らしぶりは極貧と言えるものでした。両親と姉、家族4人で6畳一間に暮らし、食事も満足に食べることができなかった毎日。学校では貧乏を理由にいじめられ、不登校や非行に走ってもおかしくない状況でした。しかし、それを踏みとどまらせたのが、「空手」との出会いでした。空手の真髄は勝ち負けではなく、己を進むべき道へと導き、支えてくれるという教えでした。


鍛え上げた力を何か困っている人のために役立てたい。成長した三浦さんは地元の消防士の職を得て、街の人たちを助ける道へと進みます。そんなある日、夜の街でシンナーを吸う若者たちを見かけ、補導をしたことが彼の人生を変えました。奄美大島は、戦後、さとうきびの栽培頼みからの脱却を目指していましたが、1980年代になっても産業に乏しく、本土に比べると貧しい家庭が圧倒的に多い土地でした。家の中は殺伐とし、子どもたちは居場所を失い、何より両親からの愛情に飢えていました。自分が置かれた境遇とよく似ていたのです。三浦は仕事の傍ら、夜の街で若者たちに声掛けをする運動を始め、さらに、空手の道場を開き、若者たちを練習に誘いました。彼らの負のエネルギーをまっとうな方向に向けてやることができれば、必ず立ち直れる。保護司の資格も得た三浦さんの活動は、じわじわと成果を上げていきました。


2001年、三浦さんはそれまでの活動が認められ、奄美市の福祉政策課の青少年支援担当に抜擢されました。当時の奄美市は不登校者の数が人口比で全国ワースト1位、未成年の犯罪件数も鹿児島県14市でワースト1位。そして、離婚率は県平均の1.5倍でした。こうした問題の改善に迫られた行政が、一民間人だった三浦さんを頼ったのです。三浦さんは寄付を募ると、行き場を失った若者たちが一時的に暮らせる支援施設「ゆずり葉の郷」を設立。奄美以外からも相談が寄せられるようになりました。


こうした活動が結実したのが、2004年の少年警護隊の設立でした。隊長はかつて“島一番のワル”と呼ばれた若者。メンバー23人全員が三浦さんの元を巣立った元不良少年たちでした。夜の街の見回りから、街の清掃活動まで、彼らの地道な活動は目にみえる効果をあげ、2年後には奄美の少年犯罪の数がピーク時の年間96件から32件へと激減。全体の犯罪件数も675件から313件に半減したのです。この成果は“奄美の奇跡”と呼ばれ、全国の警察、教育関係者たちに大きな驚きを与えました。そして、警察が主催する全国防犯大賞の防犯努力賞を受賞するという快挙を達成したのです。三浦さんが示した「負のエネルギーを正しい方向に向けてやることができれば、どんな子も輝くことができる。」というメッセージは、全国の保護司や、若者や子どもたちの支援活動をする方達に勇気を与えたのです。


そして、現在も三浦さんは全国から寄せられる様々な相談に24時間、365日対応しています。さらに、全国の保護司や教育関係者、受刑者たちに、自身の体験を伝える講演活動にも取り組んでいます。長年のストレスから左耳の聴力を失い、満身創痍でもありますが、活動を止めることはありません。今見据える夢は、奄美に学校を建設すること。そこでは、三浦が理想とする、すべての若者たちの生き方を許し、認め、褒め、進むべき道へと導く教育が行われるといいます。

映画「TIDA-ティダ-」は、三浦一広さんの生き様をより多くの人たちに伝え、それぞれが進むべき道について考え、行動し、未来を切り開いてもらうための作品です。

最新情報

映画『TIDA -ティダ-』お願い

この映画は餓えや虐待に苦しむ子供や若者たち現実を知っていただき、この問題が一人でも多くの人の胸に届くよう「餓えや虐待に苦しむ子供達に笑顔の未来を送る映画プロジェクト」として企画されました。 是非、本作品の趣旨と本作品のモ […]